栄養と料理のバスツアー(令和6年12月 山下准司)
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クリスマス、お正月を控えた、せわしない師走の12月17日に我々を乗せたバスは一路、外房に向けて出発。この日は晴天に恵まれ、絶好な行楽日和となりました。先ずは勝浦海中公園に隣接した展望レストランで、パエリアの美味しい昼食を頂き腹いっぱいに。青く抜けた空、眩いばかりの、さざ波に目も奪われ、皆さん、大満足!
東洋一を誇る勝浦海中公園では、目の前を泳ぐイシダイや色々な魚が海の中で泳ぎ回る姿を見て感動。その後、東京湾アクアラインにある海ほたるに行き、屋上で東京湾を一望して記念写真を撮り、東京湾に沈む夕陽と富士山を眺めながら又、感動‼
楽しい一日でした。皆さん、有難う!
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新春 佐原バスの旅 (令和6年1月 田中詔子) |
今年の新春バス旅行は歴史の町、佐原です。先ず日本三大厄除大師、観福寺に参拝。境内にある、江戸時代に、それも五十歳を過ぎてから十七年かけて日本全国を隈なく歩いて測量し(歩いた距離の合計は何と三万五千キロ、地球一周とほぼ同じ距離)、正確な日本地図を作成した郷土の偉人、伊能忠孝のお墓にお参りをしました。そして記念館をゆっくり見学した後、夢時庵で昼食。前菜は野菜も多く、お店独自のドレッシングを付けて頂き、更にマグロの赤身、茹でエビ、蒸し鶏、蒸し野菜と蛋白質もしっかりとありました。具沢山のスープには自家製のラスク、80g位の美味なステーキ、麹菌で作られたパンは発酵バターでと、全部が美味しく綺麗な盛り付け、皆さん充分、満足されていました。
その後、歴史の町、水の郷として有名な佐原の街をそれぞれで散策しました。
2,3年前に、香取神宮に行っていますので、今回は前回ゆっくりと見物できなかった佐原の街をたっぷりと時間をかけて回り、綺麗な街並みや古い家々の美しさを堪能しました。道の駅も大きくて沢山買い物ができました。
帰りのバスの中では、DVDの「フォークス・オーバー・ナイブス」を見ましたが、画面の日本語字幕が読みづらく、係の方に揺れ動くバスの中で一生懸命に字幕を読んで頂き理解することができました。有難うございました。けど、疲れが出たか居眠りをしておられる方も⋆⋆⋆ 皆さん充分に楽しまれた旅でした。 |
「晩秋の常総バス旅行」(令和5年11月21日 赤塚昭一) |
11月21日、間もなく師走に入ろうかという時期に、会員の親睦会を兼ねたバス旅行に参加、参加者は37人。行き先は「一言主神社」と「水海道風土博物館坂野家住宅」等常総市一円を廻るものでした。バスの窓から「この平地、日光筑波に見つめられ、鬼怒(川)と小貝(川)に恵まれ育つ」(石毛地方短歌会)と詠われたように、限りない肥沃な平地が見渡せました。
最初に訪れたのは「一言主神社」で人々から「一言の願い事までも聞き入れてもらえる言行一致の神様」として信仰され、今でも正月三が日には15万人もの人が詣でるという。立派な風格のある大伽藍、そして折よく開催中の「菊花祭り」も鑑賞することが出来、堪能しました。
次に国の重要文化財指定の水海道風土博物館坂野家住宅を訪れました。坂野家は約500年前に、この地に土着し、江戸時代 中期に利根川と鬼怒川に挟まれた水海道の、沼が点在する低湿地帯3000町歩を干拓、大穀倉地域に生まれ変わらせ、豪農、坂野家誕生をもたらし、財政窮乏の幕府に大量の年貢米を供出して幕府の財政安定化に寄与したのである。(現存する広大な屋敷は、従来、武家屋敷に設けられた薬医門と土塀に囲まれ、4000㎡の「坂野家ガ❘デン」等がオ❘プンしています。)
昼食はメヒコ・レストラン「つくばフラミンゴ館」で、中庭にいる数十羽のフラミンゴを眺めながら、前菜、カニ入りス❘プ、サラダ、エビフライ、(又はカニコロッケかカキフライ)、カニピラフ、最後にホットコ❘ヒ❘と、かなり豪華なコ❘ス料理を味わいました。
昼食後、明治乳業(株)取手工場に寄り、大量生産の小瓶詰めヨ❘グルトの製造工程や設備等の見学をしました。
最後に斬新な設計の「道の駅、常総」でショッピングを楽しみ、5時頃に流山に帰ってきました。楽しく健康的で、参加者皆さんと交流を深め、見聞を広められた一日でした。水海道風土博物館坂上家かやぶき屋根の門前で 記念写真を撮りました。裏山のバラ園にはドングリが道に沢山転がっていて滑りやすく、時間もかかり危ないので取りやめました。残念でした。
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「茂原&君津の名所を巡るバス旅行」(令和5年6月8日 久保田 藤枝) |
今回のバス旅行の行き先は茂原市にある服部農園、あじさい屋敷と君津市の農溝の滝、亀岩の洞窟で、六月八日朝八時、流山おおたかの森駅を出発し二時間ほどで、服部農園あじさい屋敷に到着。ここは平成四年から紫陽花を植栽し、今では250種、一万本もの色とりどりの紫陽花が広大な山の斜面一体を埋め尽くしている光景は何とも素晴らしいものでした。園内には新鮮な野菜も沢山売られており、お買い物も楽しみました。
「道の駅 つどいの郷」で昼食。肉と魚を自由に選ぶことが出来、とても美味しい食事を堪能しました。
昼食後、亀岩の洞窟と農溝の滝を見物。農溝の滝は3月と9月の、お彼岸の頃の早朝に洞窟に差し込む朝日が角度の関係でハート型に岩を映し出すことからSNSで話題となり、今では千葉県を代表する人気の観光スポットとなっています。私達は時期的にハート形をした光を見ることはできませんでしたが、静かな遊歩道を歩き、記念撮影をし、お土産も買いました。
行き帰りのバスの中では楽しそうな話し声が絶え間なく聞こえていました。この声は、きっと皆さんの心の栄養になったことでしょう。お天気にも恵まれて楽しい一日を過ごすことが出来ました。有難うございました帰りのバスの中では楽しそうな話し声が絶え間なく聞こえていました。この声は、きっと皆さんの心の栄養になったことでしょう。お天気にも恵まれて楽しい一日を過ごすことが出来ました。有難うございましたき帰りのバスの中では楽しそうな話し声が絶え間なく聞こえていました。この声は、きっと皆さんの心の栄養になったことでしょう。お天気にも恵まれて楽しい一日を過ごすことが出来ました。有難うございました行き帰りのバスの中では楽しそうな話し声が絶え間なく聞こえていました。この声は、きっと皆さんの心の栄養になったことでしょう。お天気にも恵まれて楽しい一日を過ごすことが出来ました。有難うございました
コロナあけで皆さん元気に参加して頂きました。個人ではとても行くことは出来ない長距離移動のバス旅行でしたが楽しい旅行でした。次のバス旅行を楽しみに又、是非ご参加下さい。
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「岩槻大師 新年会バス旅行」 (令和5年1月12日 水野 美代子) |
一月十二日、厳しい寒さの中、岩槻大師に向かいました。岩槻大師は奈良時代末期807年に創建された真言宗の古刹で、地下には四国88か所の各霊場寺院から頂いた御砂を奉安し、そのお砂踏みをすると、お遍路巡礼ができるという珍しいお寺です。恰幅の良い和尚様の説法を聞いてから柱状の木片四面に各自、祈願を書き納め、地下のお砂踏みに向かいました。地下通路は薄暗く、一番札所から順番にお砂踏みをし、四国88か所を廻ったのと同じ貴重な体験をしました。
次に人形の町として有名な岩槻市の岩槻博物館に行き、ビデオで職人さんの人形の眉、目、口の描き方を見て職人さんの手捌き、描き方は流石だなと感心しました。雛祭りの時には沢山の人が訪れることでしょう。機会があれば訪ねてみたいです。
昼食の「ほてい家」では和服姿の方達に出迎えられ、正面玄関には見事な人形が、大広間には紅白の千羽鶴や数々の人形が飾られ、テーブル席には花籠に盛られた彩鮮やかな和風料理! お味も実に美味しく、優雅なひと時を過ごしました。
造幣局の見学は短時間でしたが、500円硬貨が1秒間に13枚も製造出来ること、勲章やオリンピックメダル等が手仕事で丁寧に作られていることが特に印象的でした。
帰りに流山に入ったところで、茂呂神社西側に真っ赤な夕日をバックに聳え立つ富士山をほんの一瞬でしたが眺めることができ幸運でした。今年はキット良い一年になりそうな予感がしました。楽しい一日、皆さん有難うございました。
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「横浜三渓園年末バス旅行」 (令和4年12月8日 関 信子)
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昨日までの冷え込みが嘘のような晴天に恵まれ冠雪の富士山を眺めながら、横浜の三渓園に着いた頃にはコートも不要な程の暖かさで汗ばむ程でした。ガイド付きの散策はまるで別世界でした。
明治39年に実業家、原三渓が造った三渓園は東京ドーム四個分もの広さがあり、京都や各地から移築された重要文化財のお屋敷が幾つも林の中に、どっしりと構え、昔の人は、このお屋敷で裁縫をしたり、手遊び、おしゃべり、お茶や日向ぼっこをしながら楽しく過ごしたのかなと思いをはせました。中でも特に太閤秀吉が母の長寿祈願の為に建てた旧天瑞寺寿塔覆堂(きゅうてんずいじじゅとうおおいどう)は地味ながらどっしりと構えていて、親を思う気持ちは「今も昔も変わらない」と実感しました。
中華街での昼食の美味しかったこと。「育てる会」の食事とは少しかけ離れている気もしますが・・・
まあ、たまにはこういう食事も良いかなと自分に言い訳をしながら頂きました。
日刊新聞発祥の地、横浜にあるニュースパークでは新聞が出来上がるまでの工程を見学し、
一日中、山盛りの内容でした。初めから終わりまで本当に楽しい時間を過ごせました。
ニュースパークで記念写真。
館内の展示を見学している間に我々一行の写真を載せた新聞が出来上がり、お土産に頂きました。
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